耳垢を採るだけでがんのリスクがわかる時代が来る?
「がんをもっと手軽に、早いうちに見つけられないか」——そう感じている方は少なくないのではないでしょうか。
現在のがん検診は、血液検査や画像検査(CT・MRI・PET/CT)、内視鏡検査など、体への負担や費用が小さくないものが多いのが現状です。そんな中、耳垢(じこう)という身近な分泌物を分析することで、がんのリスクを評価できる可能性を示した研究が2025年に発表されました。
セルメノグラム(cerumenogram)と呼ばれるこの検査法に、研究者たちが注目しています。

耳垢に”がんの痕跡”が現れるしくみ
がんは「ミトコンドリアの代謝異常」と深く関わる病気です。ミトコンドリアとは細胞の中でエネルギーを作る小器官ですが、細胞ががん化していくにつれてその働きが変化し、活性酸素(ROS)と呼ばれる物質が大量に発生するようになります。この活性酸素は細胞の脂肪などを酸化させ、揮発性有機化合物(VOC)という気体状の代謝産物を生み出します。
耳垢は皮脂腺と汗腺から分泌される物質で、体内の代謝状態を反映することが知られています。つまり、がん細胞で増えた揮発性代謝物が血液を通じて全身に広がり、耳垢にも蓄積されるという考え方です。
この耳垢を、ガスクロマトグラフィー・質量分析法(HS/GC-MS)という精密な機器で分析し、揮発性物質の組み合わせパターンを機械学習で判定するのが「セルメノグラム」です。2019年に最初の報告がなされ、その後研究規模が段階的に拡大されてきました。

531人のがん患者データで示された診断の可能性
今回の研究(Scientific Reports, 2025年)では、セルメノグラムが「がん vs. 健康な人」の識別にとどまらず、前がん状態の検出や治療後の寛解モニタリングにも応用できることが示されました。
研究はブラジルの複数施設で実施され、がん患者531人を含む751人の耳垢サンプルを収集・分析しました。がん患者はさまざまながん種が含まれており、大腸がん・前立腺がん・膀胱がん(210例)、乳がん(73例)、血液がん(42例)、皮膚がん(40例)、頭頸部がん(37例)などが対象でした。
がん患者のデータをもとに構築した分類モデルは、ROC曲線下面積(AUC)0.916(注:1に近ければ近いほど性能が良い)、感度・特異度ともに84.9%という性能を示しました。
さらに今回の研究で新たに示された応用例として、以下の3つの症例が報告されています:
① 前がん状態(異形成)の検出
乳腺異形成3例・大腸/胃の化生3例・良性腫瘍や嚢胞11例の計17例を対象にした分析では、異形成の全3例がセルメノグラムで「腫瘍リスクあり」に正しく分類されました。一方、良性腫瘍・嚢胞の11例は全例「リスクなし」に分類されており、異形成と良性病変を区別できる可能性が示されました。
② 過代謝性炎症病変の早期検出
症状のない一般の方でセルメノグラムが「腫瘍リスクあり」を示した症例では、その後のPET/CT検査で上行結腸に病変が確認されました。大腸を生検してみると腫瘍形成の初期段階とも考えられる異常が見つかり、無症状の段階でセルメノグラムが捉えていた可能性が示されました。
③ がん治療後の寛解モニタリング
前立腺がんの治療歴をもつ患者で、複数回のセルメノグラムで追跡したところ、治療後に「リスクなし」グループへ移行することが確認されました。PET/CTでも腫れていた左外腸骨リンパ節の完全寛解が確認されており、セルメノグラムの結果と一致していました。
この研究が私たちの生活に示すヒント
セルメノグラムは現在も研究段階の検査法ですが、いくつかの点で将来への可能性を感じさせます。
- 非侵襲的・低コスト:耳垢を専用の器具(ジョブソン・ホーン式プローブ)で採取するだけで、採血や内視鏡は不要です。
- 前がん状態の早期把握:乳腺異形成はやがて乳がんに進行しうる病態です。世界では毎年100万人以上が乳がんで亡くなると推計されており、早期発見の価値は非常に大きいとされています。
- 治療効果のモニタリング:がん治療中・治療後に、代謝レベルの変化を追跡できる可能性があります。PET/CTや生検に比べ、はるかに簡便な方法で繰り返し評価できる点が魅力です。
ただし、本研究は症例集積研究であり、前がん群のサンプル数は少数に限られています。実際の臨床応用に向けては、より大規模な前向き試験での検証が不可欠です。
現時点では「耳垢検査を受ければがんがわかる」という段階ではなく、あくまでも補助的なバイオマーカーの研究段階です。気になる症状がある場合は、必ず専門医にご相談ください。

まとめ
耳垢を用いた「セルメノグラム」は、前がん状態・がん・治療後の寛解を代謝レベルで評価できる可能性を示した非侵襲的な新しい検査法です。がん早期発見や治療モニタリングへの応用が期待されますが、現段階では研究段階であり、今後の大規模検証が待たれます。
※本記事は最新研究を分かりやすく解説したものであり、診断・治療は専門医へご相談ください。

今回参考にした論文は、
Barbosa JMG, et al. Cerumenogram as an assay for the metabolic diagnosis of precancer, cancer, and cancer remission. Sci Rep. 2025;15(1):13929. Published 2025 Apr 22.
doi:10.1038/s41598-025-97440-2
です。
Research Question:
耳垢の揮発性代謝物プロファイル(cerumenogram)は、がん診断に加えて、前がん状態(過代謝性炎症・異形成)の検出およびがん寛解のモニタリングに有用か?
Methods:
- デザイン:ケースシリーズ研究(前向きコホート「Cerumen Project」Phase IIのデータを用いたcase series)
- サンプル:n=751(がん患者531例、がんなし203例、化生75例、異形成5例、良性腫瘍・嚢胞11例);ブラジル多施設(Hospital Amaral Carvalho, Jaú / Universidade Federal de Goiás, Goiânia)
- 主要アウトカム:cerumenogramによるOncological Risk(Y-OR)vs. Oncological Risk-free(N-OR)の分類精度;前がん状態・寛解モニタリングへの適用可能性(縦断的ケースシリーズ)
- 解析:HS/GC-MS(ヘッドスペース揮発性有機化合物プロファイリング)、機械学習ベースのROC曲線評価モデル、ランダム化ブラインド分析;交絡因子として年齢・BMI・民族・人種・ライフスタイルを調整;MetaboAnalyst 5.0使用(RRID:SCR_015539)
Results:
- 主要結果:AUC = 0.916、感度・特異度 = 84.9%(がん vs. 非がんの識別)
- 異形成(n=3、すべて乳腺異形成):全例が腫瘍リスク群(Y-OR)に分類
- 化生(n=3、Barrett食道・胃腸管化生):全例が腫瘍リスクなし群(N-OR)に分類
- 良性腫瘍/嚢胞(n=11):全例N-ORに分類(甲状腺良性結節、デスモイド腫瘍、腎皮質結節、血管脂肪腫、網膜芽細胞腫、卵巣嚢胞、膵臓嚢胞など)
- 症例1(大腸過代謝性炎症):¹⁸F-FDG PET/CTで上行結腸近位1/3に高代謝病変(SUVmax 早期8.9 g/mL、遅延期11.0 g/mL);生検にて好酸球性炎症浸潤を確認
- 症例2(頬骨筋過代謝性炎症):¹⁸F-FDG PET/CTで頬骨大・小筋に高代謝領域(SUVmax 6.5 g/mL)を確認
- 症例3(前立腺がん寛解):3回のcerumenogramで腫瘍リスク群に分類→治療後4回目でリスクなし群へ移行;⁶⁸Ga-PSMA PET/CTで左外腸骨リンパ節7mm病変(SUVmax 早期7.6 g/mL、遅延期17.6 g/mL)が治療後CT上で完全寛解を確認
Conclusion & Implication:
- 著者結論:cerumenogramは前がんリスク評価・早期がん検出・治療モニタリングに応用可能な非侵襲的代謝バイオマーカーアッセイとして機能しうることを示した。揮発性代謝物プロファイルは腫瘍形成の初期段階(過代謝性炎症→異形成)から変化しており、化生や良性腫瘍のvolomic profileとは異なる。
- 臨床応用ポイント:感度・特異度84.9%は補助的スクリーニングツールとして検討しうる水準。ただし前がん群はn=3〜5と少数例であり、外挿には慎重な解釈が必要。大規模前向き無作為化試験による検証と、標準化プロトコルの確立がリサーチギャップとして挙げられる。






