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初代アメリカ大統領は急性喉頭蓋炎で亡くなった

 今年はアメリカ大統領選挙の年でしたが、初代アメリカ大統領といえば、ジョージ・ワシントン(1732-1799年)です。

 今日は、ジョージ・ワシントンの最期を振り返る医学論文を見つけましたので、紹介したいと思います。

 ジョージ・ワシントンの死因は急性喉頭蓋炎だったようです。

急性喉頭蓋炎とは

 急性喉頭蓋炎といえば、耳鼻咽喉科医が最も恐れる病気といっても過言ではありません。

 命に関わる病気が比較的少ない耳鼻咽喉科の中において、急性喉頭蓋炎は命に関わる病気で、しかも急激に悪化する病気だからです。

 患者さんは喉が痛くなり、何か息苦しい感じがして、食事も食べづらくなります。「風邪かな?」と思いながら病院を受診します。

 口をあ〜んと開けてもらい医師が診察しても、のどが少し赤い程度で腫れてもいないので、「風邪ですね。薬でも飲んで様子をみてください」となるわけですが、それが落とし穴となります。

 口の中から見た様子はさほどでもなくても、喉頭ファイバー検査をして喉の中を観察すると、下の写真のようにのどがパンパンに腫れていることがあります。これが急性喉頭蓋炎です。

http://www.jibika.or.jp/citizens/daihyouteki2/nodo_disease.htmlより引用

 このような場合、放っておくと、みるみるうちにのどが腫れて窒息し、死んでしまうことがあるのです。

 風邪だと思っていたのに、数時間のうちに窒息してしまうのですから、恐ろしい病気です。

 この急性喉頭蓋炎を巡って、どんなドラマがあったのか。200年以上前へタイムスリップしてみましょう。いろいろ学ぶべきことがあります。

 

ジョージ・ワシントンの最期

 1799年12月14日、クレイク、ブラウン、ディックの3人の医師がアメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンを診察するために集まった。
 クレイク医師は70歳、ブラウン医師は52歳、ディック医師は32歳であり、いずれも著名な医師であった。クレイクはワシントンの友人であり主治医であった。クレイクとブラウンは名門エディンバラ大学の同門であった。ディックは、新設のフィラデルフィアの医科大学を卒業し、若くして優秀な医師であった。

 ワシントンは、24時間前に急に発症した呼吸困難に陥っていた。前日の夕方、喉の痛みと軽いかすれ声があったが、あまり気にしてはいなかった。その後、真夜中過ぎにのどの炎症症状で目が覚め、呼吸や会話、飲み込みが徐々に困難になっていった

 3人の医師が秘書からの連絡で招集された。
 先に到着したクレイクは、当時の一般的な医療行為を踏襲し、瀉血(血液を抜くこと)や水疱取りを行うとともに、カロメル(塩化水銀)投与や浣腸を行った。
 その後、3人の医師はワシントンの呼吸困難の原因は、ギリシャ語で「犬のような窒息」を意味する「cynanche trachealis」ではないかと話し合った。
 しかし、ディックは気道の炎症はもっと激しいだろうと主張し、切迫した上気道閉塞の深刻さを強調した。そして、気道を確保するために即時に気管切開を実行することを強く提案した。
 気管切開術はヨーロッパでは何十年も前からうまく行われていたにもかかわらず、アメリカでは一度も行われたことがなかった。
 ディックは、自分はそれを行うことができると信じていたし、それがワシントンの命を救うための唯一の方法であると信じていた。また彼は起こりうる結果のすべての責任を負う覚悟があった。
 ブラウンは、「もし成功しなければ、当時のアメリカで最も有名な人物を死なせてしまう可能性があるから」と、気管切開を試みようとすることを躊躇した。
 ディックは手術器具を取りに行ったが、彼が戻ってきたときにはブラウンはクレイクを説得しおえていた。2人の先輩医師は、結果的にディックの提案を覆した。

 最終的に、ワシントンに4回の瀉血をすることとなり、32オンス(約900g)の血液が抜かれた。
ワシントンは、12時間足らずの短期間に計40%〜50%の血液を失い、また先に投与された下剤と浣腸による激しい下痢が原因となり急速に悪化していった。
 その結果、ワシントンは、進行性の低血糖症と敗血症性ショックとともに気道の状態も悪化し、その日の夜10時から11時の間に死亡した。

参考文献での考察

 ワシントンが死に至った病気については、過去200年間にわたって激しく議論されてきたが、最も納得できるのは、彼が重症の急性喉頭蓋炎になったという説明だろう。
 重症の急性喉頭蓋炎は,迅速な治療を行わなければ数時間以内に死亡に至る可能性のある重篤な疾患であり、ほとんどの場合、緊急気管切開や気管挿管が必要になる。
 もしディックの主張に従って、迅速に気管切開術や輪状甲状間膜切開術が行われていたら、ワシントンの命は救われていたかもしれない。

 ワシントンに死をもたらした人的な要因を批判的に分析すると、回避できたであろう様々なレベルの失敗が明らかになる。
 医師たちが瀉血や浣腸などの古典的な治療を行うことに完全に固執していたことは明らかであり、これらの手段の無益さを認識できなかったことは明らかである。
 ディックは状況の深刻さを理解していたのかもしれないが、2人の先輩医師(クレイクとブラウン)は気管切開のような抜本的な治療の必要性を理解しておらず、古典的な治療方針を変えることに大きな抵抗を示していた。
 ワシントンの死後1年後にディックが友人に宛てた手紙の中で、「年功序列に対する警戒心があり、気管切開が失敗した場合に批判を受けることに不安を訴えていたクレイクとブラウンに譲歩したことを後悔している」と述べている。

 この事例において、状況の認識が欠如していたことや、3名の医師間で意見や心情を共有できなかったことが失敗の一因として挙げられる。
 過剰な治療を抑止するために、無危害原則(患者に重大な障害や死をひきおこさない)が古来から言われているが、ワシントンの事例では、気管切開術を行うことを正当化するために善行原則(患者に利益をもたらせ:利益が危険性を上回るべし)を適応する方がより適切であったかもしれない。

 1600年代初頭には、ヨーロッパでは急性上気道閉塞に対して気管切開術が許容されると考えられていたが、当時のアメリカでは行われておらず、ブラウンとクレイクの「気管切開を行わない」という決定には、彼らの認知バイアス(偏り)の影響を受けた可能性がある。
 何が害となるか、何が利益となるかの認識は人によって異なり、通常、最終的な決定は患者の手に委ねられ、患者から医療チームに対して「どのようにリスクのバランスをとるか」が伝えられることになる。
 ワシントンは死の直前に、側近のトビアス・リアに遺書の整理を指示したことが分かっており、最期の時間まで意志を表明する能力を維持していたと思われる。しかし、ワシントンが治療に関しての意思決定プロセスに関与していたという証拠は見つからない。
 ワシントンがもしかしたら同意したかもしれない救命処置(気管切開)が、このようなコミュニケーションの欠如によって行えなかった可能性がある。
 患者中心のアプローチ、患者の自主性の尊重、意思決定プロセスへの関与は、現在の医療行為に不可欠な原則である。

 3人の医師間では、判断の的確性や技術・経験の有無よりも、ヒエラルキーや年功序列に基づいて判断されたため、効果的なリーダーシップが不足していた。ディックはそれを十分に理解していたにもかかわらず、先輩の「間違った」決定に異議を唱えられなかった。
 よりダイナミックなリーダーシップモデルが構築できれば、年功序列に関係なく、その状況下で最も有能で経験豊富な人がリードできるようになっていたかもしれない。

 現代の医療システムでも同様の過ちが起きており、これらの問題がまだ組織内に潜んでおり、患者の安全性に影響を与える失敗に影響を与え続けている。

参考文献

Abou-Foul AK. A Lesson on Human Factors in Airway Management Learnt From the Death of George Washington. Otolaryngol Head Neck Surg. 2020;163(5): 1000-1002.
doi: 10.1177/0194599820932127.

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