「先生、この治療法と別の治療法、どちらがいいですか?」
このような質問を患者さんから受けたとき、医療者として何を基準に答えていますか?
効果や安全性はもちろん重要ですが、実は患者さんが本当に重視しているポイントは、私たち医療者が考えているものと違うかもしれません。
そこで注目されているのが「患者選好研究(Patient Preference Studies)」です。
これは、患者さんが治療やケアについて「何が重要か」「どの程度それが重要か」を科学的に調べる研究分野で、患者中心の医療を実現するための重要なツールとして世界的に注目されています。
患者選好研究って何?
患者選好研究とは、簡単に言えば「患者さんの本音を数値で見える化する研究」です。従来の医学研究が病気の原因や治療効果を調べるのに対し、患者選好研究は「患者さんにとって何が大切か」という価値観の部分にフォーカスします。
具体的には、治療の効果、副作用、費用、通院の頻度、投与方法(飲み薬か注射か)など、様々な治療の特徴について、患者さんがどれをどの程度重視するかを調査します。そして、その結果を統計的に分析することで、患者さん全体の傾向や、異なる患者グループ間での価値観の違いを明らかにします。
この分野は2024年にICH(医薬品規制調和国際会議)からガイドライン案が公表されるなど、国際的にも研究の枠組み整備が進んでいます1。
主な研究手法:患者さんの気持ちを数値化する方法
患者選好研究では、マーケティングや意思決定科学の手法を医療分野に応用した様々な方法が使われています。
コンジョイント分析は、複数の治療選択肢を患者さんに提示して、どれが好ましいかを評価してもらう方法です。例えば、「効果90%・副作用10%・月3万円」の治療Aと「効果70%・副作用5%・月1万円」の治療Bのどちらを選ぶかを繰り返し質問することで、患者さんが効果・副作用・費用のどれを最も重視するかが分かります。
離散選択実験(DCE)は、コンジョイント分析の一種で、複数の仮想的な治療シナリオを提示し、どれを選ぶかを回答してもらいます。複数回の選択データを統計解析することで、各属性の相対的な重要度や患者が許容するトレードオフを定量的に推計できます。
実際の日本の研究例では、中等度~重度乾癬患者222名を対象とした調査で、患者さんが治療選択時に最も重視するのは「長期有効性」(相対的重要度42%)で、次に「費用」(自己負担額、24%)、「投与方法」(13%)の順であることが明らかになりました2。
階層分析法(AHP)は、治療の様々な要素を一対ずつ比較して重要度を算出する方法です。「効果と副作用のどちらがより重要ですか?」といった質問を繰り返すことで、患者さんの価値観の優先順位を明確にできます。
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医療現場での活用事例
患者選好研究は既に様々な医療分野で実用化されています。
がん免疫療法の例では、抗PD-L1抗体の投与方法について患者選好研究が行われました。従来の点滴静注と新しい皮下投与を比較した結果、患者さんの71%が皮下投与製剤を好むことが分かりました。主な理由は「通院時間の短縮」「処置中の快適さ向上」「治療への心理的負担減少」でした。
この研究結果はFDA(米国食品医薬品局)への承認申請に活用され、2024年に同製剤は承認を取得しています3。
規制当局での活用例として、欧州医薬品庁(EMA)では円形脱毛症治療薬の審査において、患者選好研究の結果をベネフィット・リスク評価に活用しました。成人患者と青少年患者それぞれを対象に調査を行い、「患者の視点から定量化した場合、新薬はプラセボより望ましい」との結論に至ったと報告されています4。
患者選好研究がもたらすメリット
患者中心の医療の推進として、患者さんの声をデータとして反映させることで、治療方針の立案や医療技術の開発に患者視点を組み込むことができます。患者は自身の病気や生活への影響を誰よりも知る”当事者の専門家”であり、その選好情報を尊重することは患者の満足度向上につながります。
治療継続率の向上も期待されます。患者が自分の希望に沿った治療を受けられれば、治療への納得感や主体性が高まり、結果的に治療継続率が上がることが期待されます。例えば、皮下投与を好む患者には皮下製剤を提供することで、治療遵守を支援する具体策となります。
医療技術評価・規制承認への活用も進んでいます。FDAは2015年に医療機器分野で患者選好情報の承認審査への活用に関するガイダンスを発表しています。患者の受容度に基づく判断軸を加えることで、より患者にとって意義ある技術を適切に評価できるという考えがあります。
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課題と限界も理解しておこう
調査設計の難しさは大きな課題です。どの要素を調査に含めるか、質問の内容や提示方法によって結果が影響を受ける可能性があり、専門的な知識と慎重な設計が必要です。
回答者への負担も考慮が必要です。複数の情報を同時に提示して選択を求めるため、回答者に認知的負荷がかかる場合があります。特に高齢者や認知機能の低下した患者では、質問内容を理解することが困難なケースもあります。
サンプルの代表性の問題もあります。インターネット調査に依存すると高齢者やデジタル機器に不慣れな層の参加が難しく、特定の患者会からの募集では比較的アクティブな患者に偏る可能性があります。
結果の解釈と活用の限界として、患者選好研究で得られた知見は集団レベルの傾向を示すもので、個々の患者の意思決定を完全に代替するものではありません。最終的には各患者との対話を通じた調整が必要です。
まとめ:患者さんの声を医療に活かす新時代
患者選好研究は、患者を中心に据えた医療を実現する上で欠かせないツールとなりつつあります。まだ発展途上の分野ではありますが、信頼性の高い研究手法を駆使して患者の声を拾い上げることで、真に患者本位の医療への一歩を着実に進めることができます。
私たち医療者も、この新しい研究分野の動向に注目し、日々の診療に患者の価値観をより反映させる方法を考えていく必要があるのではないでしょうか。
参考文献
- ICH E22 ガイドライン案.
https://www.jpma.or.jp/english/ich/list/s1g9bh00000009ik-att/05_E22.pdf ↩︎ - ブリストル マイヤーズ スクイブ. 日本における「乾癬」の治療選好研究結果を発表.
https://www.bms.com/jp/media/press-release-listing/press-release-listing-20221/20230605.html ↩︎ - FDA approves Roche’s Tecentriq Hybreza.
https://www.roche.com/investors/updates/inv-update-2024-09-13 ↩︎ - 医薬品開発の意思決定に有用な患者経験情報とは
https://www.jpma.or.jp/information/evaluation/symposium/tv28hf0000000xm4-att/DS_202506_PFDD.pdf ↩︎